記念日の制定を思い立ったのは…
 

 埼玉医科大学や日本精神神経学会の一連の動きと、それに応じて自助支援グループが活発に活動するようになり、性同一性障害、あるいはトランスジェンダーの存在は、広く一般に知られるようになってきました。しかし、昨年10月、日本で初めて「公の医療」行為として性別再指定(性転換)手術が実施されたのを境に、未だ数多くの問題が残されているのに、社会的関心は冷めてきているように見受けられます。

 トランスセクシュアルの戸籍の性別訂正が許可され、また仕事や教育、医療、福祉など各方面で差別が解消されるには、世論の形成が欠かせません。しかし、そのための当事者からの働きかけは、カムアウトが難しいなどの事情で、これまで充分ではありませんでした。

 そこで、性の多様性と、トランスジェンダーに関する社会的問題への理解を深める一つの新たなきっかけになればと思い、記念日の制定を思い立ちました。

 そのアイデアは、フリーライターを職業とする主宰の森野が、以前、取材した作家の矢島さらさんから借用しています。かえるコレクターでもある矢島さんは、「かえるの日」を個人で制定し、静かなかえるブームを興した人でもあります。

 矢島さんに日本記念日協会を紹介してもらいました。同協会は、1991年に記念日文化への理解とその発展を目的として発足し、地道に活動を重ねてきた民間組織です。

 ほかにも、同協会に制定を承認された、数多くの記念日があることを知りました。桜の花を長年撮影している写真家が制定した「さくらの日」や、招き猫コレクターが制定した「招き猫の日」、ディスクジョッキーの上野修氏が制定した「ディスクジョッキーの日」、「盲導犬の日」(日本盲導犬協会)、「OLの日」(OLネットワークシステム)、「妹の日」(妹の日を推進する会)など。

 また、代表者の方のお話を聞いていて、「記念日は文化」という活動主旨に共感しました。

 「トランスジェンダーはかわいそうな病気の人だから、何とかしてあげなくちゃ」ではなく、「多様な性を生き延び、それが故の豊かさを持っている」など、ポジティブな側面を、もっと多くの人に知ってもらえたらとも思いました。
 

■なぜ、4月4日なのか。

 理由は、いくつかあります。

 4月4日は、いわずもがな、女の子のお祭り、3月3日の桃の節句と、男の子のお祭り、5月5日の端午の節句の間に位置します。

 性の多層性と多様性、性別は男性と女性二つだけではなく、その間にある無数のグラディエーションであることを啓発していく上で象徴的な日だと思います。

 トランスジェンダーを「中間の性」、男でも女でもない、あるいは男でも女でもありなどと限定的に位置付けているわけではありません。また、申請に当たり、そのような表現を用いた事実はありません。もちろん、そういう性自認の方も存在しますし、トランスセクシュアルであることを知られずに、女性、男性として生きることを望む人もいます。

 しかし、性別の記載が強制されたり、容姿と書類の性別が一致しない場合に、怪しんだり、からかうなど、「性別二元制」による差別を問題提起していく上では、最もわかりやすい日であることは間違いありません。

 また、4月4日は、これまで一部に「おかまの日」「かま節句」(日本記念日協会には申請されていない)として知られてきました。「おかま」としてプライドを持って生きている方の存在を否定する気持ちは毛頭ありませんが、少なくない当事者が「おかま」という言葉に傷ついていることも確かです。

 「オカマ」は、もともと「お尻」をあらわす古語で、同性愛者はアナル・セックスばかりしているという異性愛者の思いこみから、同性愛者ひいてはトランスジェンダー/トランスセクシュアルの人たちをからかうときに用いられ続けてきました。

 --------------------------『同性愛の基礎知識』(伊藤悟著、あゆみ出版、1996年)より

 そこで、多くの当事者が誇りを持てる名称を普及させていく必要があると感じました。あえて、同じ日に制定することで、当事者の中に「蔑称」として使われてきたこの言葉に傷つき、使用を望まない人が少なくないこと、トランスジェンダーという名付けを自ら引き受けたい人たちがいることを、知らせていきたいと思います。(「オーバージェンダー」や「マルチジェンダー」など独自の言葉で、自らの性自認を表現する人もいます)

 これらが、混同された場合は、訂正を求めていくことが、啓発にもつながります。

 日本で初めて性別再指定手術が行なわれた10月16日や、日本精神神経学会が「性同一性障害に関する答申と提言」を発表した5月28日を選ばなかったのは、トランスジェンダーが医療の側面だけに限定されるものではないからです。
 

■なぜ、当会の運営委員で申請したのか。

 当初、「会運営委員だけでなく、もっと多くの人の意見も聞いた方がいいのではないか」などの声も出ました。

 しかし、日本記念日協会は公的な機関ではなく、同会へのほかの記念日制定の申請は、個人や有志によって気軽に行なわれています。

 また、今では、存在することが当然のように受けとめられている自助支援グループの活動も、当初は、協力を呼びかけた当事者から大反対されました。「トランスジェンダーのコミュニティで、目立つことをすると、ないことないこと誹謗中傷されて、人格を傷つけられるから、やめた方がいい」「マスコミが盗み撮りに来たら、その責任はどうやって取るのか」「そんな真面目な催しをしても、当事者で関心を持つ人なんてほとんどいないだろう」「当事者の中にはアブナイ人もいるので、顔を合わせたくない」など。

 それでも、どうしても、自助支援グループの必要性を強く感じた森野が、最低限の協力者になって欲しい人を説得し、様々な危惧には対策を講じて、始めた経緯があります。

 一回目の公開シンポジウムを開催する際も、やはり当事者の一部からは「公開の催しなんかしたら、(プライバシーが漏れて)当事者の人生がメチャクチャになってしまう」などの反対意見がありました。今では、公開での催し自体に反対する方はいませんし、一般のみならず、当事者からも「社会的認知を高めるために、もっと公開の催しを増やして欲しい」という要望が寄せられるようになっています。

 また、1996年11月に、会で、国や関係学会に要望書を出す話し合いをした際、論争がエスカレートし、結局、いくつかの個人やグループが各々要望書を出す形になりました。
 現在は、当事者相互の交流も進んでいますが、依然として、様々な立場の人たちがいらっしゃいます(これは一般社会でも同様だと思いますが)。カムアウトに反対する人。自らの意志でカムアウトしようとする人たちを、抑制しようとする人。変革を望まない人。変革の可能性を信じられない人もいます。

 新たな行動を起こすにあたって、すべての当事者の賛同を得ることは不可能なことであり、またすべての当事者の賛同を得ることを必須条件としたら、新たな行動を起こすことは、何一つできなくなることでしょう。今のような自助支援グループ活動の活性化もありえなかったでしょう。

 どのような取り組みも、誰かがリスクを引き受け、責任を持って進めていく必要があります。批評だけでは、ものごとは前に進みません。以上の理由などで、まずは主旨に共鳴したコア・メンバーで制定した次第です。少しずつ、共鳴する人たちの輪が広がることを願ってやみません。
 もちろん、多様性のある当事者から広く意見を聞くことは欠かせないことだと考えています。また、当事者コミュニティが発展し、自主的な活動を行なう当事者が増えていけば意見を集約するシステム作りを行なっていくことも可能となるでしょう。
 広く意見を集め、交換しあうようなインターネットでの仕組み作りなども是非やっていきたいと考えていますが、具体的な作業を行なえる人がいないことから、なかなか困難な状況です。こういった仕事を、責任を持って自主的にやりとげることのできる人が、会の活動に多く参加して頂けることを望んでいます。

 「カムアウトする人も増え、クィアー理論の洗礼を受けて余裕のできたゲイの人たちだったら、心の傷がうずく人もいる4月4日に記念日を制定していも大丈夫かもしれないけど、トランスジェンダーの人たちには、まだその精神的なゆとりがないのではないか」という方もいます。しかし、ゲイの人たちも、以前から、心のゆとりや高い権利意識があったわけではありません。旧体質の人たちに叩かれながらゲイ・ムーブメントが起きた頃や、それ以前のゲイ・コミュニティの状況を見る限り、風穴は、誰か(たち)が開けようとしない限り、なかなか開くものではないのだと思います。そして、新鮮な空気が吹き込まれ、その匂いに触れない限り、それを知ることもないのです。(了)



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